2009年9月4日金曜日

常識と非常識の関係。

今日はなんだか書くぞーってモードです。
前々から僕が口酸っぱく言ってる
「常識は非常識に。非常識は常識にいつだって簡単に裏返るよ」
「人間関係のトラブルの90%は個々の中にある常識の違いだと思う」
という事について今日もすごく感じてたんですね。
むしろ最近は毎日感じてるんだけど、そうだよなーっていつも思うんです。
じゃぁ、どちらの常識に自分は合わせるの?その常識は正解なの?
っていう自問自答を常に繰り返す僕。
一方、自分の常識を貫こうとする様々な方々。
どうもその常識は非常識だと僕は考えてるよ。という提案に
それが非常識。というような。
人々は様々な場所で自分の中の常識、非常識と照らし合わせてる。
怒鳴る前に自分の常識が非常識である可能性を考えたのかい?
と、本当に本当に沢山の人が色んなトコで考え悩んでるんだと思うんです。
こりゃ参ったなー。なんて思ってたんですね。
そしたら、糸井さんがまたこんな事言ってますよ。

・だいたい、安全に、
 人に迷惑をかけないように生きるには、
 「常識」というものにしたがっていればいい‥‥と、
 いうことになっているのですが、
 ところがどっこいなんだよなぁ。
 
 人間の好き嫌いやら、わがままなんかよりも、
 がらっと変わる可能性があるのが「常識」ってやつで、
 ずっとそいつを信じこんでいると、
 新しい「常識」ってやつに怒られたり、
 へたをすると石をぶつけられたりします。
 
 ぼくも「常識」というやつを、
 松葉杖のように頼りにしているのですが、
 これがないと生きられない、などと思わぬように、
 たまにはこいつを投げ捨てたほうがいいのだ、
 とか思ったりもしています。
 
 しかしねぇ、便利だということで、
 ついつい「常識」に頼っちゃうんだよなぁ。
 せめて、「常識」を盾にして、
 人を責めたり、ことさらに嘆いたりすることだけは、
 やめたいものだと思っています。

そうそう、そうなんだよ。
あのー「常識を盾にして」ってこのフレーズにスコーン!!
とやられました。
やっぱり、常識と非常識は紙一重。
自分の常識は常に疑わなきゃいけない。
そのくらいがbらんすがとれてるんじゃないかな。
本当にその通りだと思います。
今年も沢山お世話になってます。

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